台風一過

今年は大型台風の到来が相次いでいますね。被害に遭われた方も少なくないと思います。この場を借りてお見舞い申し上げます。

このブログを書いている時点で(10/16の正午過ぎ)、台風26号は宮城県から岩手県にかけての太平洋沖を北上中とのこと。関東に最接近したのが早朝だったので、首都圏の通勤・通学者はかなりの影響を受けました。私は台風25号までは直接的な被害を何とか免れていたのですが、今回だけはダメでした。

『トップたる者、緊急時にこそ現場に居るべきだ』と大見得を切って家を出たものの、暴風雨で傘が瞬時に崩壊。駅まで送って貰おうにもビッシリ渋滞で動けず、雨が収まるまで1時間少々待ってから駅に向かいました。地下鉄そのものは平常運転していたのですが、乗り換え駅が電車待ちの行列で身動きも出来ず、致し方なく新宿まで出てJR線に乗り換えることにしました。ところが、今度は台風による飛来物のせいで山手線がストップ。復旧の見込みが立たないというアナウンスがあったので、再び地下鉄を乗り継いで五反田へ…結局、通常の倍の時間が掛ってしまいました。でも、それ以上の被害には遭わなかったのだからまだラッキーだったと思わなくてはなりませんね。

長々と電車を乗り継ぎながら、「日本ってすごい国だな」とつくづく思いました。

まず、台風が来ているにも関わらず、大半の通勤者が定時に出勤しようとしている。みんな真面目で責任感が強いんですね。次に、乗り入れ路線が複雑に入り組んだ交通網の中のあちこちで電車が止まっているにも関わらず、効率的に行き先変更やダイヤの組み換えが行われている。日本のダイヤ運行ノウハウは世界一だと思います。そして、大行列・大混雑の中で延々と待たされても、誰一人文句も言わずに係員の指示に従っている。従順過ぎるのかもしれませんが、個々の文句や要求は差し控えて全体の調和を重んじる国民性は素晴らしいと思います(もちろん、日本に滞在中の外国人の方々も含めて)。

先日は落とした名刺入れが何も抜き取られずに警察署に届けられていました。そんなことも含め、この国は素晴らしいと思います。国際競争力の喪失を始めとする種々の問題点が指摘されていますが、こういった美徳は失いたくないですね。

ユーゴスラビア紛争

ヨーロッパ・シリーズ第3弾。最後はバルカン半島から。

下左写真はクロアチアのドゥブロヴニク。ここは「アドリア海の真珠」と呼ばれる美しい街で、「行ってみたい海外観光名所」の上位にランキングされる人気スポットです。海洋国家としてヴェネツィアと肩を並べていた時代もあり、イタリアの影響を色濃く残しています。下右写真はボスニア・ヘルツェゴビナのモスタル。街の中心を流れるネレトヴァ川にはスターリ・モストと呼ばれる橋が架かっており、キリスト教徒地区とムスリム教徒地区を結んでいます。共に世界遺産に指定されている街です。
ブログ9月5日 ブログ9月5日②

現在は観光客で賑わい平和を享受しているこれらの美しい街ですが、1991年から10年間続いたユーゴスラビア紛争の傷が未だに癒えておらず、街中の建物の外壁には今でも弾痕が残されています。

ユーゴスラビア紛争は、1990年前後に起こった旧ソ連の民主化とそれに続く東欧民主化の流れの中で、旧ユーゴ内の各共和国が独立の動きを見せたことに対し(旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と呼ばれるほどの多民族国家)、旧ユーゴの中心・セルビア共和国が大セルビア主義を掲げてこの動きを押さえようとして軍事侵攻に踏み切ったことが発端でした。最初(1991年)に戦闘に突入したスロベニアは僅か10日間で独立を果たしましたが(スロベニアはセルビアと国境を接しておらず、国内にセルビア人口をあまり抱えていなかったため)、クロアチアでは4年間(1991-95年)、ボスニア・ヘルツェゴビナでは3年間(1992-95年)も戦闘状態が続きました。そして、マケドニアとの戦闘が終了した2001年を以て紛争は終結しました。(最後までセルビア連邦に留まったモンテネグロは平和裡に独立を獲得)

この紛争では「民族浄化」という言葉が有名になりましたが、昨日までは仲良く暮らしていた住民たちが、血で血を洗う争いに突入してしまったのはどうしてなのでしょうか?民族・言語・宗教が違うとはいえ、何代にもわたって隣近所で生活をして来た訳ですから、「お互いよく理解し合えていなかったから」という説明は成り立ちません。大セルビア主義を掲げたセルビアの責任を問う声もあります(第一次世界大戦の引き金となったのもセルビア民族主義者による暗殺事件でした)。また、旧ユーゴスラビアは故チトー大統領という「超カリスマ」の下で統一が保たれていたので、カリスマ亡き後は各人のエゴが噴出したのかもしれません。何れにせよ、人間という生き物は時として不可解で残酷な行為に走るものだ、と思わざるを得ません。ただ、この問題は実に根が深く、自分としての結論はまだまだ出そうにありません。

そんなバルカン半島のクロアチア・ザグレブに、当社の元社員が住んでいます。クロアチア人男性と結婚し、今では一人の子持ちで、元気に暮らしています。彼女の話によると、精神的にも経済的にもユーゴスラビア紛争の傷跡は非常に深いそうです。日本とは経済的な繋がりの薄い国ですが、せめてもう少し興味を持ってこの周辺の国々への理解を深めて行きたいものです。

8.15 終わらざる夏

今日8/15は終戦記念日です。68年前の今日、ポツダム宣言の受諾と天皇陛下の玉音放送を以て、日中戦争と太平洋戦争は終わりを告げました。

しかし、その後も戦闘が終わらなかった所があるのです。千島列島最北端の島、占守島(シュムシュ島)もその一つです。千島列島の実効支配を狙った旧ソ連軍が8/18になってから占守島に侵攻を開始し、これを武装解除途中であった旧日本軍が迎え撃ったのが「占守島の戦い」です。戦闘そのものは旧日本軍の勝利で終わるのですが、既にポツダム宣言を受諾していた旧日本軍は武装解除を受け入れ、投降した兵士は全てシベリアに送られたそうです。

この戦いを題材にして書かれたのが浅田次郎著「終わらざる夏」です。フィクションとノンフィクションが巧みに織り交ぜられた作品で、戦争の悲惨さ、残酷さ、それを引き起こしてしまう国家という組織の愚かさを見事に描き出しています。浅田次郎は「終戦」をテーマとした小説を何作か書き上げており、何れの作品にも同様の主題が貫かれています。

安倍政権成立以降、憲法改正議論が盛んになって来ましたが、個人的には「武力を持つこと」と「武力を行使すること」は別々だと考えています。武力保持は国際政治の道具の一つに過ぎず、武力を行使することによって国際政治を支配して行こうという考え方は本末転倒です。人間関係も同じで、いつも攻撃的な態度を採る人が良好な人間関係を築くことなど出来る筈もなく、啖呵を切るのは最後の最後であるべきでしょう。強く出るべきか、グッと堪えるべきか、難しい選択ではありますが、その微妙なバランスの上に関係構築のカギが隠されているのではないかと思います。

2013年度社長杯ゴルフコンペ

この題名で毎年社長ブログを書き続け、今年で3回目となります。

6/1は当社の創立記念日に当たり、会社が休業となるため、東西で「社長杯ゴルフコンペ」が開催されます。

今年は、西(大阪本社)は27名(於:亀岡ゴルフクラブ)、東(東京支社)は19名(棄権1名を除く)(於:那須野ケ原カントリークラブ)、総勢46名が参加しました。私は西で参加したのですが、1年前の社長ブログで「当社のゴルフは東高西低!」と書いたことが影響したのか、あるいは6/1が土曜日に重なってしまい東では遠いゴルフ場しか予約できなかったせいか、西の方が若手社員の参加率も高く、賑やかなコンペとなったような気がします。

下写真は西のスタート風景。若手社員は平均ストローク140前後のつわもの揃いです(笑)。1年前の社長ブログで「懇親ゴルフ大会は参加することに意義がある!」と書いた通りになり、嬉しい限りです。

ブログ2013年6月3日① ブログ2013年6月3日② ブログ2013年6月3日③

結果は…西では私が優勝してしまいました。すみません。年初来110以上の大叩きを2回もやってスランプのどん底にあったのですが、ようやく復活です。お陰で来年は幹事をやらさせて頂くこととなりました(苦笑)。東ではI取締役がグロス100で優勝してしまい、かなり恐縮していました。

下写真は西の表彰式風景。ハンディーキャップも下がってしまったので今後は入賞すら危うい状況ですが、来年度は諸般の事情により東西両方で参加するつもりですので、社員とOBの皆さんはこぞってご参加下さい。

ブログ2013年6月3日④ ブログ2013年6月3日⑤ ブログ2013年6月3日⑥

5.15 ~今日は何の日?~

『9.11』なら2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件、『3.11』なら2011年3月11日の東日本大震災ですが、今日5月15日は何があった日でしょう?

『5.15』から思い付くのは、やはり『5.15事件』でしょうか。1932年5月15日、武装した帝国海軍の青年将校たちが犬養首相を暗殺したテロ事件で、暗い軍国主義時代の幕開けを告げる出来事でした。その後、日本は日中戦争、更には太平洋戦争へと突き進み、結局1945年8月15日に敗戦の日を迎えることとなりました。

では、敗戦の日を以て戦争が終わったのかと言うと、そうではなかった地域があります。

それは沖縄です。

戦後もアメリカ軍による占領が27年間近く続き、本土復帰が果たされたのは今日から41年前の1972年5月15日のことでした。ある意味、1932年5月15日から1972年5月15日まで40年間に亘って日本には「戦争」の影がまとわり付いていた、と言えます。そして、返還後も未だに基地問題が解決されない現状は皆さんよくご存知の通りです。(出典は下記写真『沖縄県の歴史』)

ブログ5月15日

今、憲法改正を巡る論争が活発化しています。戦争行為そのものの是非をここで語るつもりはありません(問題として、あまりに難し過ぎます)。しかし、戦闘状態が続いたのが数年間だったとしても、その前後も加えると相当な期間に亘って人々を苦しめ続けているのだ、という事実を忘れてはいけません。戦争(もしくは、喧嘩)という行為に訴えるということには、我々の想像を超える犠牲が伴うのです。安易にそういう手段に訴えてはいけない、ということです。
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR