あれから15年…(エピソード1)

15年前の出来事。

1997年11月24日、山一証券が破たんしました。自主廃業の発表会見の席上で、当時の野澤社長が涙を流しながら語った次の言葉は、今でも忘れることが出来ません;

「みんな私ら(経営陣)が悪いんであって、社員は悪くありませんから!どうか社員に応援をしてやって下さい。優秀な社員がたくさんいます。よろしくお願い申し上げます。私たちが悪いんです。社員は悪くございません。」

当時まだ一担当者でしかなかった私は、「大会社の社長たる者が、公衆の面前で泣くなんて格好悪い。恥ずかしくないのか?」と思ったものでした。しかしその後、事ここまでに至る経緯を知り、野澤元社長の人となりに触れ、そして自らが会社トップとなるに至って、「自分に同様の場面が訪れた時、自分は本当に社員のために泣けるのか?自己防衛に走って、逃げるようなことはないか?」と自問自答するようになりました。その後今日に至るまで、「トップの引き際はいかにあるべきか?」という問題は、常に私の頭から離れることがありません。

ここで、最近「トップの引き際」に就いて考えさせられた例を1つ。

私がここ10年ほど奉仕活動をしているボランティア団体でのトップ交代の話。その方(仮にM氏と呼びましょう)は17年間もその団体のトップの座にあり、関係者では知らない人はいないぐらいの有名人。ただ、組織の運営手法が強引で自己中心的、堂々と反対意見を述べる者は全て組織から追放して来てしまったため後継者が育たず、完璧な「裸の王様」状態にあります。実は私も「追放されてしまった組」の一人なのですが、居残った方々もさすがにもう我慢がならず、M氏をトップの座から引き降ろすべく立ち上がりました。「トップの座を降りて頂けないのであれば、我々は全員辞めます」と…今のところ、M氏が「私がいなくなったらこの組織は崩壊する」と主張して引退断固拒否の態度を貫いているため膠着状態にありますが、裸の王様もいつかは事実に気がつく時が来るものと信じています。しかし、なぜそこまでトップの座に固執するのでしょう?組織のためではなく自分自身のためであることは誰の目にも(M氏本人以外)明らかです。前出の野澤元社長が社員のために流した涙、それは望むべくもないとしても、せめて晩節は汚して欲しくなかった…もちろん、自分自身への戒めを込めて。
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