三昌商事のルーツを辿る(第2回)

大正5年(1916年)、中国・天津に綿花・穀物・製油等の対日輸出を主な業務とする「三昌洋行」が設立されました。創業者は第1回で紹介した岡本久雄氏ですが、東亜同文書院の同期3人と漢口(現・武漢)・上海・天津にそれぞれ関連を持つ貿易会社を興し、同期「三」人が揃って繁「昌」するようにという願いを込めて、社名を「三昌」としたそうです。この後、漢口と上海にあった同期2人の三昌洋行は店を閉じてしまいましたが、天津の三昌洋行だけは第2次世界大戦終結で会社解散となるまで営業を続けました。下写真は天津にあった三昌洋行の本社事務所です。

ブログ1月27日

大正8年(1919年)に私の祖父である髙橋真美が三昌洋行に入社、昭和2年(1927年)には住友電線製造所(現・住友電気工業)の中国北部における代理店となり、現在まで続く住友電工との関係がスタートします。これにより取扱品目が一挙に拡大し、太平洋戦争が始まる直前には従業員数百名、店舗も天津・上海・北京等に10数拠点を構え、当時の天津では「三井、三菱、三昌、大倉」と位置付けられるほどの中国北部を代表する大手商社に成長しました。

しかし、日本と中国との戦争は泥沼状態に陥り、米国による原油の対日輸出禁止を契機に日本は太平洋戦争へと突入して行きます。そして、この世界情勢の動きが三昌洋行の行く末を決めることとなります。

次回は大阪における三昌産業(現・三昌商事)の設立に話を進めます。
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