三昌商事のルーツを辿る(第3回)

1/27付社長ブログ「三昌商事のルーツを辿る(第2回)」でお話ししたように、当社の前身である「三昌洋行」は中国・天津を本拠地としていました。それだけに、この度の天津での大規模爆発事故は遠い地での出来事とは思えません。亡くなられた方々に心から哀悼の意を表すと共に、負傷された方々が一日も早く回復されるようお祈り申し上げます。

昭和16年(1941年)12月16日、大阪に「三昌産業株式会社」が設立されました。日中戦争が泥沼化する中、三昌洋行の天津本社に万が一のことがあっても日本で十分業務が行える体制を作ることが目的だったそうです。創業者は私の祖父で、この年が現三昌商事の会計年度1年目となりますので、平成27年(2015年)は「第75期」となります。

最初の本店住所は「大阪市南区末吉橋通2丁目」とありますが、住吉橋通は現在の長堀通に当たりますので、現在の中央区南船場辺りにあったのではないかと推測されます。設立当初は住友電工製超硬工具「イゲタロイ」の販売が売上のほぼ大半を占め、昭和18年(1943年)には社名を「三昌工業株式会社」と改めて住友電工の下請工場としての機能も果たしていたようです。

そして、昭和20年(1945年)8月15日、終戦の日を迎えます。天津の三昌洋行(解散時の社名は三昌産業)は現地解散となり、翌昭和21年(1946年)に創業者の岡本久雄氏も体一つで日本に引き揚げて来ました。敗戦による混乱と経済停滞から三昌工業も累積損失を積み上げるような状況にありましたが、岡本久雄氏を取締役に迎え入れて大阪支店を任せ、祖父は代表取締役のまま東京支店の支店長となる道を選びました。

こうして三昌商事(昭和22年(1947年)に社名変更)は東西それぞれにトップを頂く体制となった訳ですが、やはり運営上の問題点が多く、最終的に東京支店が独立して東西それぞれ別個の「三昌商事株式会社」として経営して行くこととなりました。昭和24年(1949年)のことです。

次は、東西三昌商事のそれぞれの発展・拡大の軌跡と、昭和38年(1963年)の東西合併に至る経緯についてお話しします。
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