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三昌商事のルーツを辿る(第4回)

8/21付社長ブログ「三昌商事のルーツを辿る(第3回)」でお話ししたように、昭和24年(1949年)に東西の「三昌商事株式会社」が別々に運営されて行く体制がスタートしました。この体制は昭和38年(1963年)の東西合併まで続きます。

昭和25年(1950年)~27年(1952年)の朝鮮戦争特需、昭和29年(1954年)~32年(1957年)の神武景気の波に乗り、東西三昌商事は大きな発展を遂げます。この間に、取扱品目は当社営業のルーツである住友電工製超硬工具イゲタロイに加え、同社製電気接点エルコン、同社製焼結合金ルブライトも主力商品として育って行きました。もちろん、イゲタロイ販売もモータリゼーションの開花と共に大幅な伸びを見せます。また、大阪ダイヤモンド(現アライドマテリアル)や住友金属磁鋼事業部(後の住友特殊金属、現日立金属)の特約店ともなり、取扱品目と販路は更に拡がりました。昭和36年(1961年)には住友電工からの資本参加を受けて同社との関係を強化すると共に、同社製特殊合金線や同社製(現アライドマテリアル製)ヘビーメタルの取り扱いも始まりました。

この勢いに乗って当社は高度成長期を迎えますが、昭和38年(1963年)に大きな岐路に直面します。大阪・三昌商事の後継者と目されていた笹嶋治久氏の急死です。当時、仕入の9割以上を住友電工に依存してこともあり、当社の後継者問題は住友電工にとっても無視できない問題でした。そして、同社の勧めにより東西の三昌商事が合併し、東京の社長であった高橋真実が社長に、大阪の社長であった岡本久雄氏が会長に就くこととなりました。合併日は6/1、本社は住友電工の要望もあって大阪に置きました。当社ではこの6/1を「創立記念日」とし、会社の公休日としています。

その後、エルコンを使用したノン・ヒューズ・ブレーカーの開発、住友電工製電子ワイヤー及びチューブの販売開始と輸出拡大、イゲタロイを使用したスパイク・タイヤとゴルフ・スパイクの開発等々、当社のビジネス領域は更に拡がって行きます。

そして昭和44年(1969年)、高橋真実社長の息子(即ち、私の父)である高橋昭一が当社に入社します。その前後の動きと、その後の大きな変革期については次章に譲ることとします。
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SANSHO SHOJI

Author:SANSHO SHOJI
三昌商事の社長ブログ

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