三昌商事のルーツを辿る(第6回)

1980年(昭和55年)2月に株主総会が開かれ(当時は11月決算)、髙橋眞美社長が相談役に退き、髙橋昭一専務が第二代社長に就任することとなりました。

当社の「四綱領」、即ち、「希望」「叡智」「誠実」「努力」という4つの行動規範はこの時に制定されたものです。また、「1980年代に上場適格性を備える」ことを目指し、長期計画に基づいた数々の施策が打ち出されたのもこの時期です。社内ルール未整備の前近代的な企業体質から、「一人前の普通の会社」に脱皮する大きな第一歩を踏み出した、経営面での大きなターニングポイントとなりました。

営業面での最大の変化点は、「イゲタロイ偏重体質からの脱却」でした。前にも説明したように、当社は住友電工製超硬工具イゲタロイの販売から始まった会社です。最盛期は売上高の半分以上、1980年当時でも40%以上を占める最大主力商品でしたが、住友電工の商流集約政策に沿う形で設立された住友電工イゲタロイ(SDI)に順次イゲタロイ商権を移管して行くこととなりました。当初は、当社もSDIに出資し、当社の営業担当者も数多く出向していたのですが、最終的には住友電工100%出資子会社へと衣替えしました。現在でもイゲタロイ及びその派生商品は取り扱っていますが、金額的には極めて限られたものとなっています。

イゲタロイに代わって当社の主力商品に成長して行ったのが「エレクトロニクス関連商品」です。スタートは住友電工の特殊線、即ちディスクリート・デバイスのリード線となるCP線やDUMET線でしたが、その後、半導体用ヒートシンク材等の取り扱いも増え、最盛期には当社売上高の半分以上を占める商品群に成長しました。自動車向けでは、超硬工具イゲタロイに代わって焼結部品ルブライトの販売が飛躍的に伸びました。将来性の高い商品として、光ケーブルの取り扱いも開始しました。取り扱い商品の幅を広げることにより、社長就任直前(1979年度)は133億円であった売上高は、その10年後(1989年度)には274億円を記録します。この記録はITバブル全盛期の2000年度まで破られませんでした。

そして、世の中は1989年~90年をピークとするバブル時代に突入します。

バブル時代には資産運用面で損失を被ったようです。そして、この時期に積年の経営課題であった製造子会社、「三昌精密」を清算しました。同社は静岡県藤枝市でLEDモジュールを生産していましたが、最後まで採算に乗らず、赤字垂れ流しの状態が続いていました。

負の遺産の清算を終え、1993年には「創立30周年」も迎えて(東西の三昌商事が合併した1963年から数えて30年)、いよいよ当社は上場へ向けた動きを加速させて行くこととなります。そのために、1億円であった資本金を1994年には1億5千万円に増資し、更には1998年に5千万円の第三者割当増資を実施して資本金は2億円となりました。あとは、上場を待つのみだったのですが…
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