三昌商事のルーツを辿る(第8回)

2001年1月1日、21世紀の幕が開けました。

この2001年という年は、ITバブル崩壊、”9.11”のアメリカ同時多発テロ、そして髙橋会長の死去と、当社にとっては屋台骨を揺るがしかねない出来事が続きました。この苦しい時代を、第三代社長の沖照之(在任1996-2002年)、第四代社長の中澤義征(在任2003-2007年)の下で、当社は乗り越えて行くこととなりますが、まさにこの時期に、現社長である髙橋慎治が当社に入社します。

髙橋慎治は昭和60年(1985年)に三井物産へ入社後、鉄鋼原料畑を歩み、ブラジル駐在を経験しました。縁あって平成10年(1998年)に外資系資源商社であるグレンコア・ファーイーストへ転職し、ステンレス原料の輸入ビジネスに携わっていましたが、高橋会長の死去に伴い、平成15年(2003年)1月に当社の取締役に就任しました。

髙橋現社長(当時は取締役)が入社した頃の当社は、ITバブル崩壊の後遺症に悩まされ、若手社員が次々に退職するという危機的な状況にありました。中澤前社長の在任期間はほぼその立て直しのために費やされましたが、その努力の甲斐もあり、リーマンショック前の2007年度には過去最高益を記録、そして平成20年(2008年)1月に髙橋慎治が第五代社長に就任します。

「山高ければ、谷深し」

これは証券用語で、「相場は暴騰することもあるが、その後反転し、急落する危険をはらんでいる」という意味だそうです。まさに、リーマンショック後の全世界中の経済状況がそうでした。当社の連結売上高も、2007年度の388億円をピークに、2008年度は298億円、2009年度は268億円と、僅か2年の間に3割も落ち込むこととなり、2008年度はITバブル崩壊後の2001年度以来7年ぶりの連結赤字を余儀なくされました。この苦境を乗り越えるために大幅な経費削減を実施しましたが、ITバブル崩壊時の反省に鑑み、社員のモチベーションを維持することには最大限の配慮がなされました。

そんな中、平成23年(2011年)4月から中期経営計画“Challenge 15”がスタートします。その冒頭、全社員に向けて以下のようなメッセージが投げかけられました;

「2016年に当社は『設立75周年、創業100周年』を迎える。その2016年を5年後に控えた2011年度をスタートするに当り、2015年度までの5年間で達成すべき当社VISIONを考えてみたい」

“Challenge 15”には、当社が持つべきファンクションの分析、当社の強みを意識した3つのスローガン、ターゲット市場に合わせた組織体制への移行、取扱品目の整理・統合、収益力アップへの具体的戦術等がすべて盛り込まれ、連結売上高目標も2007年度の過去最高益を上回る420億円に設定しました。

そして、結果はどうだったかというと…

残念ながら、最終年度である平成27年度(2015年度)の連結売上高は217億円、目標売上高の半分レベルに留まるという、惨憺たる結果に終わりました(不断の経費削減努力もあり、経常利益ベースでは達成率15%)。最大ユーザーであった日系電機メーカーの凋落を予想し得なかった、倒産被害を避けることができなかった、全社員の巻き込み方が不十分であった等々、失敗の原因を冷静に分析し、それらの反省に基づいて次の中期経営計画“Challenge 20”が策定されることとなります。

平成28年(2016年)4月、“Challenge 20”スタート。同年6月、静岡県掛川市の「ヤマハリゾートつま恋」にて設立75周年記念行事を実施、これは16年ぶりの社員旅行でした。“Challenge 15”の5年間に蒔いて来たビジネスの種も少しずつ実りつつあり、グローバルネットワークも更に拡大し(2009年ドイツ、2017年インドに拠点開設)、介護・食品・美容といった今までとは全く違う業界への足掛かりも模索しつつあります。“Challenge 20”策定時に社員自ら掲げた企業理念に向かって、私たちは走り続けます;

「人と社会の永続的な幸せのために、様々な価値を創造します」
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Author:SANSHO SHOJI
三昌商事の社長ブログ

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