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ユーゴスラビア紛争

ヨーロッパ・シリーズ第3弾。最後はバルカン半島から。

下左写真はクロアチアのドゥブロヴニク。ここは「アドリア海の真珠」と呼ばれる美しい街で、「行ってみたい海外観光名所」の上位にランキングされる人気スポットです。海洋国家としてヴェネツィアと肩を並べていた時代もあり、イタリアの影響を色濃く残しています。下右写真はボスニア・ヘルツェゴビナのモスタル。街の中心を流れるネレトヴァ川にはスターリ・モストと呼ばれる橋が架かっており、キリスト教徒地区とムスリム教徒地区を結んでいます。共に世界遺産に指定されている街です。
ブログ9月5日 ブログ9月5日②

現在は観光客で賑わい平和を享受しているこれらの美しい街ですが、1991年から10年間続いたユーゴスラビア紛争の傷が未だに癒えておらず、街中の建物の外壁には今でも弾痕が残されています。

ユーゴスラビア紛争は、1990年前後に起こった旧ソ連の民主化とそれに続く東欧民主化の流れの中で、旧ユーゴ内の各共和国が独立の動きを見せたことに対し(旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と呼ばれるほどの多民族国家)、旧ユーゴの中心・セルビア共和国が大セルビア主義を掲げてこの動きを押さえようとして軍事侵攻に踏み切ったことが発端でした。最初(1991年)に戦闘に突入したスロベニアは僅か10日間で独立を果たしましたが(スロベニアはセルビアと国境を接しておらず、国内にセルビア人口をあまり抱えていなかったため)、クロアチアでは4年間(1991-95年)、ボスニア・ヘルツェゴビナでは3年間(1992-95年)も戦闘状態が続きました。そして、マケドニアとの戦闘が終了した2001年を以て紛争は終結しました。(最後までセルビア連邦に留まったモンテネグロは平和裡に独立を獲得)

この紛争では「民族浄化」という言葉が有名になりましたが、昨日までは仲良く暮らしていた住民たちが、血で血を洗う争いに突入してしまったのはどうしてなのでしょうか?民族・言語・宗教が違うとはいえ、何代にもわたって隣近所で生活をして来た訳ですから、「お互いよく理解し合えていなかったから」という説明は成り立ちません。大セルビア主義を掲げたセルビアの責任を問う声もあります(第一次世界大戦の引き金となったのもセルビア民族主義者による暗殺事件でした)。また、旧ユーゴスラビアは故チトー大統領という「超カリスマ」の下で統一が保たれていたので、カリスマ亡き後は各人のエゴが噴出したのかもしれません。何れにせよ、人間という生き物は時として不可解で残酷な行為に走るものだ、と思わざるを得ません。ただ、この問題は実に根が深く、自分としての結論はまだまだ出そうにありません。

そんなバルカン半島のクロアチア・ザグレブに、当社の元社員が住んでいます。クロアチア人男性と結婚し、今では一人の子持ちで、元気に暮らしています。彼女の話によると、精神的にも経済的にもユーゴスラビア紛争の傷跡は非常に深いそうです。日本とは経済的な繋がりの薄い国ですが、せめてもう少し興味を持ってこの周辺の国々への理解を深めて行きたいものです。
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SANSHO SHOJI

Author:SANSHO SHOJI
三昌商事の社長ブログ

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