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三昌商事のルーツを辿る(第5回)

12/10付社長ブログ「三昌商事のルーツを辿る(第4回)」でお話ししたように、昭和44年(1969年)12月に髙橋真実社長の息子(即ち、私の父)である髙橋昭一が当社に入社します。

髙橋昭一は大学卒業後住友電工に入社し、人事労務と海外事業を担当しました。本人曰く、「住友電工が三昌商事の最大手仕入先であるとは知らなかった」とのことなので、別に「将来の後継者を修行に出す」という意味合いではなかったようですが、大手企業の管理手法を習得したことと住友電工に人脈を構築したことは、当社の経営近代化と業容拡大に大きく貢献しました。

まず、経営近代化として実行したことは、企画室を設立して営業成績や収益状況を定量的に把握する体制を整えたことです。それまでの「どんぶり勘定」的な体質からの脱却を図り、営業部毎の損益が明確に分かるようになりました。次に、人材育成強化のための各種教育制度を導入しました。海外研修制度(現在は休止中)、新入社員教育プログラム、階層別社員教育制度、ビジネススクール派遣等々はこの時期に始まったものです。更には、昭和51年(1976年)に富士通FACOMを導入し、売買事務処理と経理システムの電算化が進められました。

一方、業容拡大に目を移すと、現在当社売上の柱の一つとなっている電子ワイヤーの取り扱いを始めたのはこの時期です。他特約店に後れを取ったことから国内有力ユーザー向けは当社経由ではありませんが、それでも「電線・光デバイス」というカテゴリーでいえば全売上高の20-25%を占めるまでに成長しています。また、当社の製造部門として昭和49年(1974年)、静岡県藤枝市に「三昌精密株式会社」を設立しました。残念ながら最終的に同社は清算されることとなりますが、モノ作りへの取組みの一環として評価されるべき事業でした。更には、当社のコア・コンピタンスの一つである海外ネットワーク構築の第一歩を踏み出したのもこの時期です。台湾へ進出した日系電機メーカーに部材を供給するために昭和54年(1979年)に台湾拠点を設立、その後、韓国、シンガポールにも拠点網を広げて行くこととなります。

その間、全てが順風満帆であった訳ではありません。昭和48年(1973年)の第一次オイルショックは当社業績にも大きなインパクトを与えました。特に、在庫増加と売掛金回収遅延によって資金繰りが悪化し、最終的には住友電工からの短期融資によって乗り切らざるを得なくなったことは、当社を財務体質強化へと駆り立てることとなった痛恨の出来事でした。

そして、いよいよ昭和55年(1980年)、髙橋昭一が第二代社長に就任します。
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SANSHO SHOJI

Author:SANSHO SHOJI
三昌商事の社長ブログ

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